LOWA Footprintsエクスペディションの世界:前編
皆さんにとっての登山とは何でしょうか。
自然が魅せてくれる一瞬のきらめきや静けさ、圧倒されるほどの景観の中に身を置いたときの感動など様々かと思います。
今回、当社スタッフと親交があるアルピニスト・上田幸雄氏に「あなたにとっての雪山とは」というお題目で執筆していただい原稿をご紹介いたします。
通常なら海外遠征を視野に入れ活動をしているはずが、コロナ禍の影響により全てが思うようにならない状況下となった2020年。ライフスタイルの中心に山を置くクライマーの雪山に対する想いがつづられています。今回はその前半です。
不帰より黒部を振り返る
風、雨、雪の厳しさを感じること
北海道・十勝という場所で登山を始めた。登山の経験などなかったが、大学山岳部の先輩たちの馬鹿さ加減に惹かれて入部したのが、後の祭りだった。当時は、登山が特別面白いと思っていた訳ではなく、仲間に恵まれたことで続けることができた。多分、一人だったら登山なんてやってなかっただろう。
北海道の山々を原始のころと変わらぬと言うには程遠いかもしれない。それでも人里を離れ、隔絶感がそこそこにある登山が出来る。雪山も然り。当時、そのようなことを求めて登山していた訳でもないが、携帯が繋がる山小屋で過ごす時間から山の本来の姿を体感することは難しいと思う。より生身に近い身体で山の温度を感じ、風の音、雨や雪の激しさを経験する時間を大切にしている。
登山は下界との連絡手段を排除し、一切の通信手段を持たないで行うのが理想に近いのかもしれないが、天涯孤独な人間でない限り難しいし、私はそれほど強くない。ただ、山中において人工物が眼の前にあるよりも無いほうがすっきりするし、美しく感じ惹かれる。
不帰Ⅲ峰でのトレーニング
2020年秋に馬目弘仁、黒田誠とネパール遠征を予定していた。春にはそのトレーニングの位置づけとしての山行を考えていたが、なかなかに皆の都合がつかず、日程調整を繰り返しているうちに新型コロナウイルスの影響で遠征も難しい状況となっていた。しかし、遠征に一縷の希望を捨てたくない、何よりも単純に山に行きたいという想いから黒田とともにどこかの山に向かうことにした。自分の中には、コロナだから山に行かないという選択肢はなかった。
3月下旬の不帰がネパール遠征のトレーニングとして適当か?と問われると、疑問符が付かないわけではないだろう。山ヤがルートを選択するにあたって人それぞれ色々な想いがあるだろうが、私には歴史的な背景というものに対しての興味が残念なことに薄い。過去の記録を集めたり、本を読んだりすることも苦手で歴史的な背景に山を選択することは無いに等しい。今回は、事前に山行日程、メンバーが決まっており、いくつかの候補を挙げていた中で、最小限のリスクテイクで行ける山とルートから決めざるを得なかった。不帰Ⅲ峰は雪稜登攀の入門ルートとして取り上げられており情報は多いものの、私自身は登ったことがなく、ゆえに未知のルートに対するワクワク感は半端ない。
2020年の年明けは例年にない寡雪のシーズンとなったとはいえ、2000mを超える標高帯では例年並みの積雪量が記録されていた。ネパール遠征のトレーニングとは謳いながら、山に合わせた登山スタイルというものがある。不帰Ⅲ峰は八方尾根スキー場から唐松岳を超えてアプローチするのがスタンダードで、一般的にはゲレンデトップから歩いてベースキャンプとなる唐松山荘を目指すことになる。3月下旬の八方尾根は上部に行くほど雪面は氷化していた。ベースキャンプでの宿泊はコロナ対策で各自テントとした。黒田はテントを持参していたが、私は軽量化の名目で雪洞を掘った。小屋の吹き溜まりを利用したのだが、小屋の壁沿いに隙間があるので風が通り抜けて寒い。たまらず雪洞の中にツエルトを張る。多少、狭苦しくはなったが快適に就寝。
翌朝、ヘッドランプを付けて昨日下見した本谷を下降していく。急傾斜の雪壁を各自がバックステップを交えながら、一枚の壁の様なスラブ化した吹き溜まりに留意しながら下降する。その先は、唐松岳から伸びる尾根を巻いてdルンゼをラッセル交えながら取り付きを目指す。こんなに登り返しのラッセルがあるのなら、素直にdルンゼを下降したほうが良かったなと思いながらも、登攀する尾根を下から見上げながらどこから取り付くか考えるほうが、楽しいだろと言い聞かせる。見た目の難しそうな岩場をパスしているといつの間にか押し上げられ、単純な雪壁登攀に終始しⅢ峰C尾根の頭へ出てしまった。こうして不帰Ⅲ峰への登りはあっけなく終え後は下りるだけ。それでも、目の前には黒部の谷、その奥には剱岳が控えている絶景のパノラマを望める幸せとかつての山行からの絶望感がよみがえる。
(つづく)