「誰も登ったことのない壁にラインを引きたい」。それは、ワクワクするものを探していた好奇心からだった。何枚もの地図を貼り合わせ、たたみ一畳分にもなった大きな地図を携え、旅に出たのが、原点。そこから未知なる壁、まだ知らない頂きへの登山が始まった。そして山ではいつも、ドイターを背負っていた。
イワタニ・プリムスに関わる人々の「声」をお届けする『Real Voice』。第1回目はアルパインクライマーの平出和也さんの声(前編)をお届けします。平出さんは大学で山岳部に所属して登山を学んだ後、2001年のクーラカンリ(7381m)の登山をはじめ、数多くの高所アルパインクライミングを実践してきました。そんな平出さんは経験を重ねるうちに、誰も登ったことのない壁にラインを引きたいと思うようになり、さらには自分の登山に本当に必要な道具を見極められるようになったといいます。
インタビュアーに山岳ライターの柏澄子さんを迎え、そんな平出さんの山や道具に向き合う心の声を聞きたいと思います。前編後編にわたるインタビューをどうぞ。まずは前編から。
平出 本格的に使うようになったのは、2011年のナムナニ(中国チベット自治区・7694m)の遠征からです。南壁にラインを引き初登攀、南峰から主峰に縦走し、北西面を下降するというタフな登山でした。前年に僕は、アマダブラム(ネパール・6856m)を登攀中に、ヘリコプターで救出されることになりました。それまで自分の力で登っていたつもりが、周囲に迷惑をかけることになり、この先どうやって登山を続けていこうか考え、自分を省みる機会になりました。だからこそ翌年は、容易に救助も呼べない僻地で、ナムナニというボリュームのある山に登る、これは僕にとって再起をかけた挑戦であり、ひとつの節目となりました。
このようなタイミングにドイターとの関係をスタートすることができ、嬉しかったです。
平出 僕のような遠いアジアの国にすむクライマーの話に、耳を傾けてくれるんだ、というのが驚きであり、嬉しかったですね。最初に使ったエクスペディション用のバックパックも完成度が高かったのですが、より自分に合ったものをとリクエストをしたところ、次の遠征から帰ってきたら、リクエストを反映させたバックパックができあがっていました。このレスポンスの早さには驚いたし、作り手としての本気を感じました。この先も一緒にやっていけるのではないか、という予感がしました。
完成されたバックパックを、ただ提供してもらうのではなく、こちらから意見を言うことができ、それを聞く耳をもってくれている。そして僕の声を、バックパック作りの専門家たちがさらに検討して、カタチにしてくれる。こういったやり取りが嬉しいし、将来への可能性を感じました。
それはまるで、まっさらな未踏の壁にラインを引くような感覚と似ていると思います。新しいものをクリエイトしていく行為です。
僕自身もはじめは、先輩たちが歩いてきた山を辿ってきました。それでないと最初は登れないだろうし、先達が引いた歴史あるルートを登ることは、とてもよい経験になると思います。そういったベースがあって、その先を望めるようになるのだと思います。最初は、地形図やルート図がないと不安であるし、それをなぞっていく。それを繰り返し、ある時ふと、「自分で新しいラインが引けるのではないか」「自分が登ったところが道になるのではないか」、と思いました。それが2004年。いまの僕の登山のスタートです。
山の道具も同様です。多くの人が使っているものを、僕も使ってきた。しかしドイターとの出会いによって、自分のアイディアで道具を作る立場になりました。
平出 はい。クライミングパートナーと山に登るときに意見を交換したり、アイディアを出しあっていきますが、それと同じような感覚で、道具作りのパートナーを得ました。
そしてそれには、責任が伴うと思っています。僕の意見を聞いてくれる、僕の意見を汲んだバックパックができる、それには責任がありますよね。ほかの誰でもない、僕が言い出したことですから。
これもまた、僕の登山スタイルと共通しています。自分で登る山を決める、自分でパートナーを決める、登る時期を見極める、タクティクスを考え、道具を選ぶ。すべて自分の責任において決めていきます。それが僕の登山。誰かに言われたから登るのではない、自分が登りたいからすべて自分で決める。結果がどうであれ、すべて自分の責任です。厳しいことではありますが、それが登山において究極の遊びの要素であり、喜びにもなります。同じような行為を、バックパック作りでも実践することができ、嬉しいです。
平出 容量ですね。意外な答えかもしれませんが、容量です。
道具がテーマのときに逆説的な話になりますが、道具の細かなことというのは、二の次なのです。道具がないから登れない、道具がよくないから登れない、ということではありませんよね。自分の登山に合致した道具を選ぶというのは、ある意味当然のことです。登山においてもっとも大切なことは、道具の機能ではなく、自分の気持ちです。登りたいという気持ちがあって、登るものであり、道具はそれを実現させるために、使うもの。
話を戻しますね。バックパックの容量というのは、ある種の覚悟だと思うんです。僕は、人間も野生動物も生き延びることができない環境に登りにいくわけで、そのなかで最大限の努力をして、いろんなものを駆使して、登って帰ってくるのです。必要なものをバックパックひとつにまとめていかなければなりません。
バックパックには、僕が生きて帰るものすべてが詰め込まれています。
ベースキャンプを出て山頂へ向かうとき、たいがい45リットルのバックパックを背負っていきます。その大きさを選ぶのは僕です。45リットルに生きて帰ってくるすべてのものをパッキングするのです。必要な道具を取捨選択し、最小限の大きさが45リットル。それ以上でもそれ以下でもない。
平出 そうですね。それには痛い思いもしました。シブリン(インド・6543m)では、登っている最中に不安になるのが怖くて、カラビナなど登攀具を多くしました。その時の僕たちの経験値ではそういう判断だったのですが、カラビナはお腹を満たしてくれませんよね。けれど、食糧は我慢すれば大丈夫と考えていました。装備と食糧の比率がアンバランスだったんですね。結果、食糧が不足し、凍傷になってしまいました。下山してから振り返ると、使わなかった装備もありました。
その経験を活かし、次のカメットでは食糧や燃料を増やしました。下山後に確認してみると、カメットでは背負っていった道具全部を使っていました。使わなかったものはありません。シブリンの失敗を失敗だけで終わらせたくなかったんです。どうやったら乗り越えられるかと考えました。結果としてしっかり表れたので、僕の判断は間違いではなかったと思います。
カメットのあとも、しっかりと振り返りましたよ。登山は成功したけれど、それで終わりにしてしまっては進歩がない。つねに追求していきたい、もっとよくしたいと考えています。
失敗すると必ず振り返りますよね。同じ痛い目にあうわけにはいきませんし。一方で成功すると、「やったー」で終わってしまうことも多いです。けれど、成功したときこそ、いいときこそ、振り返りたい。次回、さらなる先を、違った世界を見つけるために。
平出 ひとことで言うと、「作り手の見える道具」です。ここに、ずっと使っているアックスがあります。僕は、ICI石井スポーツに所属しており、店舗で接客をしてきました。販売員として、このアックスを売り、またクライマーとして使っているうちに、「この素晴らしいものは、どんな人が作っているのだろう。顔を見てみたい」と思うようになりました。そんな好奇心で、僕が初めてヨーロッパを旅したとき、シャモニー谷に入り、現地から電話をして、アックスを作っている工場へ行きました。
突然の訪問でしたが、日本では登攀具を仕入れ、販売する仕事をしていると自己紹介すると、丁寧に対応してくれ、アックスを製造する現場を見せてくれました。帰国してすぐに、職場の皆に報告しました。あのときのおじいちゃんの顔を、僕はいまでもよく覚えています。
僕にとっては単なるモノではなく、背後にはこれを作っている人が見える、そういう道具を使っていきたいと思っています。
ドイターのバックパックも同様です。これを手に取ると、一緒に作り上げてきた、イワタニ・プリムスの加茂卓也さんや、ドイツのドイター本社にいるトーマスらの顔が浮かんできます。細部にわたる変更についてやり取りするとき、いつも間に立ってくれるのが加茂さんです。トーマスともお会いし、直接話をしたこともありますね。
いのちがあるものと一緒に登りたい。それが僕の道具選びですね。人が生き延びることができない世界にあえて行くのですが、「あ、ひとりじゃないんだ」って思うことがあります。色んな人の思いや夢を背負って、一緒に登っているんだと思うことができるんですよね。そういうことをドイターのバックパックからも感じることができます。
加茂(イワタニ・プリムス) 僕は僕自身の立場から、ドイターのバックパックをよりよくしていきたいと考えています。平出さんはプロの登山家ですが、僕は道具のプロでありたい。さらに言うと、登山をする方を道具でもってサポートするプロでもありたいと考えています。トーマスはバックパックを作るプロです。山でバックパックを使う平出さんと、作り手のトーマスとのコミュニケーションが円滑に進むように、平出さんはどんな登山家なのか、何を志向しているのかトーマスに詳しく話すこともあります。こういう登山をしている人だから、その彼がバックパックに求めているのはこういうことなんだ、と理解してもらうために。
トーマスは本社にいるドイツ人、生産管理の責任者は韓国人、工場でモノをつくるのはベトナム人。皆、僕の仲間です。バックパックを作り上げる仲間。僕は、相当うるさいことを言うときもあります。サポートしたバックパックになにか問題が生じたら、大変です。だから入念にチェックします。僕は高い山には登らないけれど、山に登ったシーンを想像しながら、なにが起こり得るのか、どんな環境なのか考えながら、チェックします。どんな小さなことでも、問題となりそうな危険があれば、やり直してもらいます。工場もとても忙しいし、普通なら「ほんとうにやり直す必要があるの?」と思われるようなことも、文句ひとつ言わずにやってくれる、そんな信頼関係を築くことができました。
シスパーレを登るのはもちろん、現地に赴いて仰ぐことすらないけれど、平出さんが撮影してきてくれた映像を見せてもらい、僕もこの山に一緒に取り組んだ気持ちになることができ、感謝しています。
平出 バックパックの機能について細かなリクエストもしました。ウエストベルトの右側はギアラック、左側にはポケットを。ここには1日分の行動食を入れています。バックパック本体の右側だけポケットがあります。赤布を付けた竹竿を入れるためです。
基本的にはシンプルで軽いものがいいですね。バックパックは道具を持ち運びするためのもの。究極的なことを言えば、道具がちゃんと全部入ればいいのです。
僕の登山は、けっしてメジャーではなく、バックパックの広告塔にはなり得ません。また僕のアイディアが詰め込まれたバックパックを使いたいと考える人も少数だと思います。メーカーとしては、もっとマスにうったえたモノづくりが必要でしょうし、それが会社を支えます。けれどそれであっても、僕の登山を理解し、共感し、サポートしてくれることが、とても嬉しいですね。
ベースキャンプで、ドイターのバックパックにパッキングしているときは、「いよいよ登るんだな」という覚悟を決め、緊張感があります。この先も、そんな緊張感のなかで、ドイターのバックパックと共にいろんな登山を、ピークを経験していきたいと思います。
平出和也(ひらいで・かずや)
1979年長野県富士見町生まれ。中学で剣道、高校で陸上競技を経験したのち、大学山岳部で登山を覚える。2001年のクーラカンリ東峰初登頂(チベット自治区、7381m)を皮切りに、ヒマラヤなど高峰への登山が始まる。2008年カメット(インド、7756m)南東壁初登攀により、ピオレドール受賞。昨年夏に登頂したシスパーレ(パキスタン、7611m)は、4度目のトライ。また、三浦雄一郎のエベレスト、佐々木大輔のデナリなど、登山、山岳スキー滑降を撮影する山岳映像カメラマンとしての作品も多数。ICI石井スポーツ所属。
登山遠征写真提供:平出和也氏
インタビュー・執筆:柏澄子
インタビュー撮影:ハタケスタジオ/かねだこうじ
2011年のナムナニ峰(7694m)から2017年のシスパーレ峰(7611m)にわたり、ドイターと共に挑戦し続けてきた山々を本人撮影&編集のダイナミックな映像をYoutube上に公開しています。