昨年夏、平出和也さんは、シスパーレの山頂に立った。それは、15年目にして4度目のトライだった。「人生を賭けるに値する」と言った、大きな山を登り終えた、その心境とこれからについて語ってもらった。
イワタニ・プリムスに関わる人々の「声」をお届けする『Real Voice』。第2回目はアルパインクライマーの平出和也さんの声(後編)をお届けします。平出さんは2011年のナムナニ(7694m)の登山から本格的にドイターのバックパックを使ってきました。自身の登山で得た経験をもとに多くのフィードバックをドイター社に伝えてきました。2017年、一つの完成形ともいえる現行のバックパックを携え、長年の目標であったシスパーレ(7611m)の山頂に立ちます。
インタビュアーに山岳ライターの柏澄子さんを迎え、シスパーレ登山の話、そして平出さんのこれからの山への向き合い方について心の声を聞きました。前編に続く後編のインタビューをどうぞ。
平出 天候もルートも厳しく、精いっぱいの登山でした。下山のことが気になり、山頂ではゆっくりはできませんでした。シスパーレ北東壁を登りきり、頂稜に出たとき、一瞬だけガスが晴れたんですよね。登頂後には、長い長い南東稜を下らなければならないことはわかっていたし、プラトー(台地状の地形)もあり、ルートが不明瞭でした。このまま山頂に突っ込んでいって、ほんとうに僕たちは帰れるのか。このわずかな晴れ間を、登頂することではなく生きて帰ることに使うべきなのではないか、考えました。
結局、僕たちふたりは山頂へと向かうのですが、体力的にもギリギリのところでした。
長大な尾根を下山し、ベースキャンプに戻るまでに、2日間かかりました。シスパーレに登頂したあとに、もうひと山を登ったようなボリュームでした。成功の喜びがこみ上げてくるのは、登頂から3日後、ベースキャンプに戻ってからです。
いまちょうど、あれから約1年が経とうとしています。その間にも心境の変化はありましたね。当初は、脱力感にさいなまれていたというか……シスパーレの存在が大きすぎて、次のことが考えられないような状況が続きました。
僕は毎年夏になると、自分の登山のために海外の高峰へ向かうというサイクルを、15年以上続けてきました。それ以外の時期も、海外の山に出ますが、それは夏に向けたステップであったり、あるいは撮影の仕事だったりします。自分のためのいちばん本気になれる山は、年に1回。だいたい夏の頃です。
では、冬はなにをしているのかというと、いわゆる「引きこもり」ですよ(笑)。もちろん、国内の山にも登っていますが、多くの時間は静かに過ごしています。夏の登山を振り返り、次の山について考える、そんな時間なんですね。ちょっと立ち止まるような感覚。夏に登り終えた直後というのは、自分がなんでもできるような、気持ちが大きくなっていたりもします。一種の興奮状態です。それを鎮める時間が必要。僕の場合、それが冬のシーズンですね。冬になって、夏の山を振り返ると、あんな登山をしたのはほんとうに自分なのか、どこからあんなエネルギーが湧いてきたのか、想像もできないときがあります。カメットのときもそうでした。冬のあいだに立ち止まる時間は、けっして負の時間ではない、僕にとって必要な時間です。
今年は、その反動がいっそう大きかったですね。
平出 はい、つぎの登山人生をスタートさせるタイミングにきたのだと思います。
シスパーレに出会ったのは、15年前(2018年から数えると16年前)。カラコルムの地図を幾枚も貼り合わせ、たたみ一畳分の大きさになったものを携えて、旅に出たときです。カラコルムハイウェイから望む、ピラミダルな美しい山がシスパーレでした。4回目のトライでしたが、ずっとシスパーレだけに通っていたわけではありません。ほかの山も登り、そしてまたシスパーレに帰る、そんな繰り返しでした。
僕は、小さい頃からワクワクするものを探していたんだと思います。長野県の田舎で生まれ育った自分が、まさか大人になって海外の山に登るなんてことは想像もしていませんでした。けれど、ワクワクするものを追いかけていったら、いつの間にか国境やいろんな壁がなくなっていたのだと思います。ひとつワクワクすることができると、壁がふたつもみっつもなくなって、世界が広がっていく。それが、嬉しいです。
僕たちは周囲から無謀だとか、中途半端な登山家だと言われた時期もありますが、自分たちなりに考え、ステップを踏んできたつもりです。
たとえば、6543mのシブリン(インド)に登るのであれば、7564mのムスターグアタ(中国チベット自治区)に登って、高所順応をするということです。高所に身体を慣らしながら、自分たちは7000mの山でどの程度動けるのか確認する。そして、6000m級の山でなにができるのか考えるということです。
けれど、葛藤がなかったわけではありません。カメット(インド・7756m)の南東壁を初登攀してピオレドールを受賞しました。自分としては世界一流でもなければ、まだまだ未熟なのに、たった一回の登山で大きな評価をされて、それは身に余るようなものでした。
だから、その後、外国人のパートナーを求めていくようになったのかもしれません。なんの先入観もなく、僕のことを見てくれる。僕も、またイチからやり直して、パートナーシップを作っていくことが気持ちよかったです。殻を破って新たな自分になり、そしてまたシスパーレに帰る。けれど、登れない。登れない理由は何であろうと再び自分と向き合うようになるのです。
平出 あえて、大きく立ち止まる時間にしたいと考えています。
シスパーレは僕にとって、ほんとうに大きな存在でした。15年の歳月をかけて登るにふさわしい山であったし、4回の登山すべてが、いまの僕にとってかけがえのないものになっています。だからこそ、つぎに踏み出すために、立ち止まりたいのです。夏に挑戦的な登山をするというサイクルを続けてきたし、今年もどこかにいけば、素晴らしいルートが登れるかもしれない。それを周囲は喜んでくれるだろう。僕自身も、ラインを引きたいと考えている壁は幾つも、思い浮かびます。けれど、もっとじっくりと考えたいのです。
シスパーレに登頂し、僕の第一の登山人生を終えることができたと思っています。第二の登山人生をスタートさせるためにも、立ち止まりたい。シスパーレが15年かけるに値する山だったのと同じように、20年、30年とこれからの人生をかけるに値する山に出会いたいと考えています。
たたみ一畳分の地図を携えて旅立ち、シスパーレに出会ったけれど、こんどは、まっさらな地図をもって旅に出たい。
平出 これが仕事だったら難しいかもしれませんよね。僕のは遊びですから。自分の責任で自分の範疇で行うことだから、できるのかもしれません。
K2西壁に残されたラインがあります。この夏は、まずは西壁を仰ぎに行ってきます。最初にバルトロ氷河に入ります。この氷河沿いにも、これまで登ってきた山々がたくさんありますね。ゆっくり撮影もしながら歩きたいと思います。K2は、これまでカラコルムの山々を登ってきたとき、いつも眺めていた山です。7000m峰で実践してきたアルパインクライミングを、8000m峰でやってみたい。けれど、はたしてK2西壁に可能性はあるのか。それを探りにいきます。行く前から登れるとわかっている山には、興味はわきませんね。K2西壁のように、未知な要素があり、不安もあるけれど、期待も大きい山に憧れます。
今年偵察し、その結果次第ではありますが来年を本番としたいと考えています。だから今年は、一歩引いた位置から山と向き合う。そのとき、自分が何を感じるのか、山がどう見えるのか、楽しみです。イケイケの若い時期は過ぎましたが、シスパーレの次の新たなフィールドで、これは自分が本当にやりたいことなのか、自分自身に問いただす。現場では、なにも決心できないかもしれません。それほど、K2西壁は大きな存在であるし、僕の想像を越えていると思います。そんなところに、僕は挑戦できるのか、してよいのか、その山との向き合い方を探ります。諦めるのか、やってみるのか、第二の登山人生のスタートと思えるのか。もし、決められなかったら、また違う場所を探すのか。
登山とは、そういうものではないでしょうか。山に登り、自分自身と向き合う。山に対しても、パートナーに対しても、嘘はつけませんし、ごまかしはききません。周囲には、K2西壁なんて登れるわけがない、と思われそうですが、それは自分自身で判断しようと思います。
平出和也(ひらいで・かずや)
1979年長野県富士見町生まれ。中学で剣道、高校で陸上競技を経験したのち、大学山岳部で登山を覚える。2001年のクーラカンリ東峰初登頂(チベット自治区、7381m)を皮切りに、ヒマラヤなど高峰への登山が始まる。2008年カメット(インド、7756m)南東壁初登攀により、ピオレドール受賞。昨年夏に登頂したシスパーレ(パキスタン、7611m)は、4度目のトライ。また、三浦雄一郎のエベレスト、佐々木大輔のデナリなど、登山、山岳スキー滑降を撮影する山岳映像カメラマンとしての作品も多数。ICI石井スポーツ所属。
登山遠征写真提供:平出和也氏
インタビュー・執筆:柏澄子
インタビュー撮影:ハタケスタジオ/かねだこうじ
2011年のナムナニ峰(7694m)から2017年のシスパーレ峰(7611m)にわたり、ドイターと共に挑戦し続けてきた山々を本人撮影&編集のダイナミックな映像をYoutube上に公開しています。