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NPO法人インサイドアウトスキークラブ代表理事 
元クロスカントリースキー選手、元MTB選手 斉藤亮さん

合言葉は「北信濃をアウトドアの街へ」
-仲間と共に広げるアウトドアスポーツの輪

斉藤亮さん

イワタニ・プリムスと接点のある人々の「声」をお届けする『Real Voice』。今回は、幼少時より親しんだクロスカントリースキーで世界を転戦した後に、再びマウンテンバイクで競技の世界に飛び込み活躍した斉藤亮さんを訪ねてお話を伺いました。現役選手として活躍している時に生まれ育った街、飯山に立ち上げた「インサイドアウトスキークラブ」。この活動を続ける想いを、選手時代の思い出を振り返りながらお聞きすることができました。


お話を伺いに訪れた長野県飯山市。新潟県と境を接し、近隣に木島平や野沢温泉、斑尾高原があり、また、ロングトレイルのコース「信越トレイル」も整備されている。山に囲まれ、冬、雪も深く、日本有数のアウトドアアクティビティのフィールドと言える。
この地で生まれ育った斉藤亮さんは、小学生の頃からクロスカントリースキーに親しみ、のちに、MTB(マウンテンバイク)に転向。この経験を活かし、現在、飯山を中心に、仲間たちとともにアウトドアスポーツに接する機会を提供する活動を続けている。


スキー環境に恵まれた子供時代

クロスカントリースキーを志すきっかけは?

斉藤 兄と姉がふたりともスキーをしていたという影響から、物心ついた時には、スキーをはじめていました。この地域だと、小学校の体育の授業にも、クロスカントリースキーの時間があります。小学校3年生ぐらいの時、学校のスキークラブに入ったのをきっかけに、本格的に競技としてはじめました。
道具をうまく扱い、しっかり滑らせることができたり、仲間より早く走れたり、それが楽しかった。仲間と競い合って、一緒にスキーをするのが当たり前な環境でした。
毎週末の大会は、それまで練習してきた成果とか、がんばってきた仲間の成果を発表する場ですが、新しい友達ができたり、新しいコースを走ったり、それも楽しかったです。
あの頃は、ただただスキーの日々でした。冬がとても楽しみでした。

スキー環境に恵まれた子供時代

クロスカントリースキーを見ていると「過酷だな」というのが正直な印象なのですが。

斉藤 本当に過酷な競技だと思います。続けていくなかでは、困難や挫折もありました。レース自体は30分〜45分ですが年間だいたい600時間くらいトレーニングに費やします。ハードなトレーニングや努力もゴールして勝つことの達成感、高揚感、あの感覚があるから、日々できたのかなと思います。
努力を続けられるのもひとつの才能だと思います。辛くても努力できる人とそれができない人はいますからね。

競技から退いたのはいつですか?

斉藤 2006年にトリノオリンピックがあったのですが、その最終選考にもれてしまって、そこで引退を決めました。そして、自分を支えてくれた人や、育ててくれた地域の方に恩返ししたいという思いで、地元長野で行われた国体を最後にしました。

2008年に地元長野で行われた第63回・国民体育大会冬季大会のクロスカントリースキー成年男子B10kmクラシカルで優勝を飾った。

第2の競技人生、スキーからマウンテンバイク(MTB)へ

クロスカントリースキー競技からの引退を決意した翌年、2007年から今度はMTBのクロスカントリーレースに本格的に参加するようになった。

スキーの後はMTBに転向しました。

斉藤 地元では、スキー選手を引退したのだから、後輩の指導にあたるように言われました。
それでも、「もう一度競技人生を」という熱い想いが強かったのだと思います。スキーのオフシーズンのトレーニングとしてMTBも取り入れていましたからね。
ところが競技者としては素人だし、コースにも順応できていないし、サポートもないし、かなり苦戦しました。ただただ、スキーで培った基礎体力だけで走っていました。
なんとかプロチームに入れる実績をつくりチームに加入した直後は、競技者として遅かったキャリアを補うための技術をしっかり上げたいと、小学生がするような初歩から徹底的に教えてもらいました。

はじめるのは遅かったとおっしゃいましたが、数年後、連戦連勝しています。

斉藤 表彰台にはじめて上がった時はうれしかったですね。でもそこがゴールではない。トップ選手や常に勝てる人たちとの差は自覚していました。本当に勝てるまでには、2年間くらい必要でした。MTBのプロになって4年、そこから、勝ちパターンみたいなものが見えてきて、それからは3年連続シリーズチャンピオンになることができました。3年目のシリーズは全勝優勝しました。

MTB選手時代のレースでの一コマ(写真提供:中村肇)
MTB選手時代のレースでの一コマ(写真提供:中村肇)
ペダル、ハンドルワークなど技術的な点を改めて習得し、それが成績に現れてきた(写真提供:中村肇)
ペダル、ハンドルワークなど技術的な点を改めて習得し、それが成績に現れてきた(写真提供:中村肇)
(写真提供:中村肇)
(写真提供:中村肇)

地元のフィールドをベースに

2015年、惜しまれながらもMTB競技から引退。地元飯山の企業に就職し、日本各地を転戦していた生活から飯山を基盤とする生活に。
斉藤さんは現役時代に学生時代の仲間と「北信濃をアウトドアの街へ」を合言葉にアウトドアアクティビティを地元の方々に提案する【インサイドアウトスキークラブ】を立ち上げました。この時の仲間が北陸新幹線・飯山駅前に2020年にオープンしたカフェ「KOMOREBI nouseries」オーナーの山本浩二さん、新しいタイプの宿泊施設「KOKUTO iiyama home」のオーナー服部正秋さんらである。

MTB競技を引退してから、現在は地元で活動をしているわけですね。

斉藤 この辺りには、各地域にスキークラブがあります。そのクラブ単位ではなく、もう少し枠を広げて何かおもしろいことをやりたいという気持ちがありました。行政に頼るのではなく、自分たちが持っている技術や能力、人脈などを活かした活動をしたいと思い、2008年にNPO法人【インサイドアウトスキークラブ】を立ち上げました。
「中から、外へ飛び出そう」という気持ちです。「中」は自分たちの中でもあるし、家の中や地域的な中でもあります。インドアからアウトドアへ、今いる場所からもっと広い世界へ、さらには自分たちの知らない世界へ、そんな想いを込めた名前です。
このNPO法人の活動として、毎週1回、継続して開いているのが、ノルディックウォーキングのサークルです。夜、7時半に集合し、ポールを使用しアクティブに市内を回り、体操などもして、約1時間程度の活動です。季節によっては、ホタルを見に行く日も、学校のグラウンドで野球の練習に励む高校生を応援しに行くこともありました。小さい目的地を見つけながら歩くのです。
飯山はスキー発祥の地、かつて1本スキーで滑り降りたという坂道を逆に上るというレース「さか のぼる」は「坂を上る」と「過去をさかのぼる」を掛けたシャレも込めたのです。そうしたら、テレビやラジオ、新聞の取材もあり、狭い会場なのに大盛況でした。
また、千曲川にかかる大きな中央橋の隣にある古い赤い橋を壊す前に、何かしらできないかと考え行ったイベントは「橋の上をスキーで滑る」という企画、イベントの名は「橋を架ける」と「駆ける」、「走る」の語呂合わせで、「かけはしる」としました。行政とも調整をしながら企画を進め、イベント当日は、取材陣も多く、ドローン撮影も入る大がかりなものになりました。最後の中央橋を地元の皆さんにスキーで滑ってもらい形に残る、僕たちにしかできないイベントになりました。
こうした実績が認められたのか企画の依頼も来るようになり、地域に必要とされるクラブに成長することができたなという実感があります。

チームインサイドアウトスキークラブのメンバー達
チームインサイドアウトスキークラブのメンバー達
チームインサイドアウトスキークラブのキッズサマーキャンプ
チームインサイドアウトスキークラブのキッズサマーキャンプ
日本で初めて本格的なスキー指導を行ったレルヒ少佐から、直々にスキーを学んだ第十七代住職・市川達譲が、1912年、ここの参道で滑ったことから長野県スキー発祥の地とされる妙専寺
日本で初めて本格的なスキー指導を行ったレルヒ少佐から、直々にスキーを学んだ第十七代住職・市川達譲が、1912年、ここの参道で滑ったことから長野県スキー発祥の地とされる妙専寺

長く続いているイベントのひとつ、「たかやしろトレイルランニングレース」について教えてください。

斉藤 2020年で14回目になりました。このイベントは、インサイドアウトスキークラブを立ち上げる2年前からやっています。最初は手動のストップウォッチでの記録計測で有志だけの記録会みたいな規模でした。今では幅広い世代が参加できるトレランレースに成長しています。
僕が自転車競技をやっていた経験から、ただゴールタイムを競うだけではなく、スプリント賞とか、山岳賞とか、コース途中にもモチベーションとなるポイント区間を設定しているのが、このレースのおもしろいところです。全長12キロのコース、スタートして、最初の1キロ地点にスプリント賞を設置するみたいにね。それだけを狙う子どもや大人、山岳エリアの上りだけを頑張りたいという人もいます。
毎回参加者が定員に達することからもトレランの楽しさが伝わってきたなという実感がわきます。

「たかやしろトレイルランニングレース」には地元の小学生も多く参加している
「たかやしろトレイルランニングレース」には地元の小学生も多く参加している
大会当日はMCとして活躍。優勝した高校生女子をインタビューする斉藤さん。
大会当日はMCとして活躍。優勝した高校生女子をインタビューする斉藤さん。

この大会を企画するにあたり、心がけていることはありますか。

斉藤 やみくもに大規模にしたいとは思いません。予算もスタッフの人数も、自分たちのキャパをオーバーしたいとは考えていません。継続できる大会、持続可能な大会、それが僕たちのモットーです。
参加者やもちろん自分たちの子供も含めて、こんなに素晴らしいフィールドが近くにあることを共有する時と場を設けることが何よりも大切なことだと思います。
自分たちで準備して、運営して、片付けて、そして、お客さんに喜んでもらうということが、自分たちにとっても楽しいのです。決して義務ではなくて、僕たちも好きだし、楽しいからやっている。その楽しさをみんなで共有したいとも思います。だから、継続できる大会規模であること、それが一番大事なことなのです。

幼稚園から高校までずっと一緒だった服部正秋さんが営む「宿・穀藤」。イベントの発信やクロスカントリースキーギアの販売も行う。飯山は長野スキー発祥の地で、昭和の初期頃には穀藤のブランド名でスキーワックスを手掛けていたそう。
幼稚園から高校までずっと一緒だった服部正秋さんが営む「宿・穀藤」。イベントの発信やクロスカントリースキーギアの販売も行う。飯山は長野スキー発祥の地で、昭和の初期頃には穀藤のブランド名でスキーワックスを手掛けていたそう。
斉藤さんが相棒と呼ぶ山本浩二さん(左)と一緒に
斉藤さんが相棒と呼ぶ山本浩二さん(左)と一緒に
2020年秋にオープンした「木漏れ日が差し込む心地よい空間。3世代が楽しめる園芸雑貨とカフェのお店」KOMOREBI nurseries
2020年秋にオープンした「木漏れ日が差し込む心地よい空間。3世代が楽しめる園芸雑貨とカフェのお店」KOMOREBI nurseries
斉藤さんの相棒でチームインサイドアウトの中心メンバーである山本浩二さんが2020年秋にオープンした「木漏れ日が差し込む心地よい空間。3世代が楽しめる園芸雑貨とカフェのお店」KOMOREBI nurseries

インスタグラム @komorebi_nurseries


ドイターとともに

マウンテンバイクに転向してからほどなくしてドイターユーザーとなった斉藤さんにドイターの魅力についても話していただいた。

ドイターを使うようになったのは、いつごろからですか?

斉藤 11年くらい前からです。
遠征時、トレーニング、ツーリングにといくつかのモデルを使ってきましたが、背中とパックの間に空間ができる「エアコンフォートシステム」、背面がメッシュになっているモデル、あれに感動しました。具体的な商品名よりもシステム名とその機能の方が最初に口に出てしまいましたね。あのシステム、機能のおかげで、ザックを背負っているのではなくて、「着ている」という感じを持ちました。ドイターといったら「背面のつくり」が一番の魅力ですね。
アクティビティに応じたデザイン、収納性、機能的な装備をもつドイターには、自分がどういう状況や場面で使うかを考え選ぶ楽しさもあります。最近は色のバリエーションも豊富になりました。 今まで使ってきたなかでのお気に入りはふたつ、ひとつは【アドベンチャーライト(※)】もうひとつは【レース】です。【アドベンチャーライト】はトレラン用に、【レース】はバイクツーリング用にと、シーンによって使い分けています。(※アドベンチャーライトは2020年まで取り扱いの商品です。)
最近、ドイターのロゴが変わりましたよね。ロゴだけで大きく印象も変わりましたね。シックな感じでもあり、よりスポーティでもありますね。これからも、ドイター、使っていきます。


自然の力、山の力。日常から非現実へ

これまでの選手経験を通して、また、現在の地域、フィールドでの活動を通して感じていることをお伺いしました。

斉藤さんのアクティビティであるクロスカントリースキー、マウンテンバイク、トレイルランニングは全部自然がフィールドです。その魅力とは?

自然の力、山の力。日常から非現実へ

斉藤 共通することでいったら、まず、身体を動かすということですね。
それから、山もそうですけれども、自然は日常生活から離れることのできる場であり、非現実みたいな部分もあって、魅力を感じます。日常生活における悩みやストレスから解放されること、自分自身の存在の小ささを感じると同時に身を置いている自然の雄大さを感じることが多々あります。自然の力、山の力なのか。周囲の山々、自然豊かな麓、自分のなかではなくてはならない存在ですね。

また、スポーツや競技に参加することには努力から得られる喜びがあります。そのためには、参加している子どもから大人まで「楽しむ」ことが必要だと思っています。大会に出て結果を残すだけではありません。その過程も含めて、全てが楽しい、その「楽しさ」は競争とか、勝利よりも重要なファクターなのではないかと感じています。
一方で、悔しい思いをして、苦しい思いをして、思い通りにいかなくて、怒りを覚えることもあります。けれどもその壁を乗り越えたときに得られる喜びはまた楽しさにつながる。
スポーツに対する取り組み方は、人によりそれぞれ、「本気度」は違います。だから「本気になれよ!」「もっとまじめにやれよ!」と強要するものではなく、「楽しく取り組むこと」が重要だと思っています。楽しくなければ興味もわきませんよね。
競技者として取り組んだクロスカントリースキーやマウンテンバイクのアウトドアスポーツですが、多くの指導者や周りの方々からのサポートを受けられたからこそ続けることができたと思っています。順風満帆とはいかないながらもアウトドア、自然の中で競技に打ち込んできました。この経験とそれを通じて得た多くを仲間と共に残していけたらと思っています。

斉藤 亮

プロフィール

斉藤 亮(さいとう・りょう)

小学校の時にクロスカントリースキーと出会い競技を開始。中学時代は全国中学大会に3年連続で出場し、高校時代は2年でインターハイリレー優勝、3年で個人戦2位、リレーでも2位になる。

高校卒業後、社会人となりクロスカントリースキー選手としてワールドカップを転戦する生活を送る。トリノオリンピックの代表選考で落選し、引退を決意する。プライベーターとなった2008年長野かがやき国体(第63回国民体育大会冬季大会)スキー競技会を優勝で飾り、雪辱を果たした。

マウンテンバイク(MTB)はクロスカントリースキーのトレーニングとして行っていたが、プロ契約した2008年シーズンから本格的にレース参戦をする。2012年JCF MTB ジャパンシリーズで初の総合優勝、2013年は参戦した全レースで優勝を飾りシリーズ2連覇、2014年も総合優勝し史上初のシリーズ3連覇を達成した。2015年にシーズン終了後、引退を発表。


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