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弊社スタッフの山本大貴が佐藤裕介さん、鳴海玄希さんとともにインドのキシュトワール山群セロ・キシュトワール峰(6200m)北東壁を初登攀いたしました。キシュトワール山群はインドの政治トラブルにより長年閉ざされていた地域です。1993年に初登頂が果たされたあと、セロ・キシュトワール峰は2011年、2015年、2017年と3度登攀されたものの、その北東壁は標高差1500m、傾斜の強い氷と花崗岩のミックス壁でいまだ触れられていませんでした。以下、遠征の様子を山本より報告いたします。
今回のセロ・キシュトワールへの取り付きは、近隣の町から歩いて約6日。この山群は、キシュトワール・カイラッシュやアルジュナ、キシュトワール・シブリンなど6000m級の名峰揃いで、キャラバン中にも目移りするほど素晴らしい山が多く、道中は次の遠征の話題で盛り上がった。
セロ・キシュトワールの東側、南北にのびたチョモチョイル氷河上3900mにベースキャンプ(以下、BC)を設置し、そこを起点に約3週間の登山期間となった。アタックまでの日々は、高度になれるための順応登山やBC周辺に転がる魅力的なボルダーでのクライミング、タクティクスの検討、登攀に使用する装備・食糧の準備など、毎日やることがいっぱいでけっこう忙しい日々を過ごす。
天気が安定しなかった順応山行の最終日にして、ようやく全貌を眺めることができたセロ・キシュトワール。標高4000mを超える高所でしとしと降る雨に濡れた前日と違い、10日ぶりの気持ちのいい快晴の中、北東壁の取り付きとなる標高4650mの氷河上に前進キャンプ地(以下、ABC)を設営した。時折、真正面に見える北東壁をまじまじと眺め、壁の概要を頭に入れながら、どのラインで頂上へ登ろうかとみんなで話し合う。
BCで1週間の休養をはさみ、ABCに向けてBCを発つ。今後の天気はそれほど良くなさそうなため、当初予定の4泊5日分の食糧は持ちつつ、悪天に捕まる前に強引に駒を進めて頂上を目指すことにした。
初日(9/20)、緊張感に包まれる中、5時に取付きの氷雪を目指して出発。傾斜の緩い氷雪のルンゼから始まり、氷爆、傾斜が増した氷雪壁を超えていき、4650mのABCから14時間を超える行動を終え、およそ1,000mの標高を稼いだところでテントを設営した(C1:5700m)。
2日目(9/21)は天候の悪化が予想されたため、この日をサミットプッシュと決め早朝から行動を開始。氷柱、氷雪のルンゼ、薄氷の付着した傾斜の強いクラックなどを超えおよそ18時間の行動のすえ22時ごろに頂上に到達。真っ暗の中、これからの下降を思うと喜んでもいられないが、やっと折り返し地点に到達したことに安堵した。写真を数枚撮ったのち、すぐに下山を開始、懸垂下降で頂上稜線のコルまで下りたところ、1mほど雪を削った棚に3人座ってビバーク(C2)。既に日付は変わっており、寒い中、ウトウトと居眠りを繰り返しながら、朝を待つ。体にも雪が降り積もり最悪のビバーク、コルに横並びに座っているため、前にも後ろにも壁がなく、不安定で寒い数時間を過ごした。隣の2人は身動きもせず眠っているように見えるが、自分は何度、時計を確認しただろうか。これほど朝が待ち遠しかったことはない。
3日目(9/22)、日の出を待ちきれず、暗闇の中再び懸垂下降で下山を開始。C1でテントを回収するも、ABCを目指して再び下山を開始するころには降雪が強まってきた。激しいスノーシャワーを浴びながらも避難できる場所もなく、そのまま下降を続ける。最後の下降路、登りで通ったルンゼには上部岩壁から落ちてくる雪崩の轟音が鳴り響く。別の下降路を探る必要があるため、既に日付は変わっているが明るくなるまで泊まることとした(C3)。2日続けて20時間を超える行動で体は疲れ切っていたが、ABCには確実に近づいていた。全身が濡れて不快極まりないが、翌日のABCでの快適な生活を想像しつつ一夜を過ごす。
4日目(9/23)、2時間半の睡眠で目を覚ます。この日までの4日間で9時間しか寝ていない。心身ともに疲弊しきっているが、ABCまでもう少しだ。最後の懸垂下降を行い氷河にやっと降りたつも、ABCのテントが見当たらない。たった1日の降雪で埋もれてしまったのか。テントを張っていただろう場所に近づくもどこにあるのかわからない。探し回っていると、雪面に黒いポールが突き出していた。テントが雪に完全に潰され、折れたポールが雪面から飛び出していたのだ。ここからはテントを見つけた嬉しさか、ABCに帰還した安堵感か、緊張も解けこの状況を楽しみながらテントを再び設営するために1時間以上かけ雪を掘ったり、折れたポールを修理したりした。
ABCに戻ってくれば登山は終わり、のはずだった。暖かいテントの中で、談笑して、濡れそぼった服を乾かす。温かいお茶を飲んで、登山の充実感に浸りながら幸せな時を過ごす、はずだった。しかし、1.5mも降り積もった湿雪からの脱出のため、まだ登山は終わっていなかった。
雪はまだ降り続き、壁のルンゼから地響きとともに雪崩が落ちてくる。少し遅れて、爆風がテントを襲う。テントの中にいる僕らに一気に緊張が走る。その反面、このABCは雪崩の本流からだいぶ離れているから大丈夫だろうと甘い考えで、疲れきった体を動かしたくない気持ちもあった。
どうしようか逡巡していると雪山の静けさをかき消す轟音が鳴り響いた。一瞬にして心拍数が高まり、テント内に不安が広がった。テントの側面を体全体で押さえにかかる。テント全体が爆風によって揺れた後になって、ようやく、この危険な場所から逃げ出すべきだと決心するに至った。
急いで晩御飯をとった後の21時、安全地帯に向けて出発するも降りしきった1.5mの湿雪に延々と進まない。暗闇の中から時折鳴り響く雪崩の音、降り止まない降雪に、完全に焦っていた。平常心を失い、無茶苦茶で正攻法とは呼べないようなラッセル方法で先頭を進んでいた。途中で先頭を交代した時にそのことに気づくと、焦っていたことを自覚することができた。「なにをやっているんだ」と落胆すると同時に、今の状況を少しは冷静になった頭で再確認した。この後、深い雪の中を歩くとは言えないような膝をついた四つん這いの格好で進んだりしたのだが、200m移動で4時間かかり、やっとの思いで巨大なボルダーのそばに到達することが出来た。午前1時30分、暗闇の中、ここを安全地帯とみなし、テントを張ることにした。ウェア類は濡れそぼり、安全なABCとは言えないような傾いたテントの中で、湿ったシュラフに包まれて眠りについたのが何時だったのか、わからなかった。どうやってBCに帰るべきなのか、疲労の溜まった今の体で果たしてBCまで歩けるのか、そんなことを考えながら眠りについたと思う。
翌日、テントから出てみると晴れ渡った空が広がっていた。雪が安定するのに、ここで1日のんびりと過ごすことにする。その翌朝9/25、快晴の中、すっかり雪に覆われたセロ・キシュトワールを眺めながらBCに向けて出発した。
セロ・キシュトワール 6200m 北東壁「All Izz Well」(VI WI5 M6, 1500m)
メンバー:佐藤裕介、鳴海玄希、山本大貴
day1-9/20:ABC4650m/5:00~C1/5700m20:00
day2-9/21:C1/4:30~summit6200m/23:00~C2/6050m1:00(9/22)
day3-9/22 C2/4:30~C3/4850m0:30(9/23)
day4-9/23 C3/8:00~ABC4650m12:30
*BCにたどり着いたのは、翌々日の9/25となった。
今回の遠征は、1枚の写真を見た2年前、自分のリストに書き写したことがきっかっけでした。2015年にトライした隊が、高度順応として登ったセロ・キシュトワールの北に位置するチョモチョイルから撮った、朝日に照らされる北東壁の写真。当時の自分は、急峻な壁にトライする日がこんなにも早く訪れるとは考えてもいませんでした。今回の北東壁の初登攀という結果は、今回のパートナーであった2人のおかげであると深く感じています。また、この40日という貴重な経験をすることが出来たのも、理解ある方々の存在によるところが大きい実感しています。(記:山本大貴)